卒論 ~自分探しの旅~

「こじらせ神」としての遺書

こじらせ神が生まれた日に

現在の時刻は午後10時。風呂上がりの私は散らかった自分の机の真ん中に置かれた中古のノートパソコンを起動し、若干の眠気と戦いながらこの文章を綴っている。明日の午前中にでも書けばいいものを、わざわざこんな時間に作業を開始した理由はいたって簡単、今日が私の誕生日だからである。

まあ、誕生日にブログをことにこれといって特別な事情はないのだが、今回の内容が自身の生い立ちを振り返った自分語りであること、そしてこのブログの一番の趣旨「卒論」―高校卒業までの間に「こじらせ神」としての「こじらせ自分語り」というものを全てまとめるという目的―それを開始するのに一番相応しいのが、私の誕生日なのではないか、そう思い立ったというわけである。

今回の内容は殆ど唐突な思い付きで書き始めているため、面白味もオチも全くない、これからの内容の前振り―所謂プロローグのようなものでしかないということを、どうかご了承願いたい。

 

 

普通とは違う生涯を送ってきました。

 

このように書くと、大抵の人は「特別な」だとか「人並み外れた」などと連想するかもしれない。しかし、私の場合における「普通とは違う」の意味―それは紛れもなく「異常」だ。

よって、先程の文章を太宰治氏の小説の一部を借りるとするならば、次のようになる。

 

『恥の多い生涯を送ってきました』

 

 

ありふれたことをするのが嫌だった。つまらない人間になりたくなかった。どんなことにおいても一目置かれる存在でありたかった。物心がついた頃、いやもっと昔―3つか4つの頃、保育園の発表会で年上の組の発表に飛び入ろうとしたそのときから―私は異常なまでの自己愛と承認欲求を抱きながら18年という月日を生きてきた。

 

また、私は幼い頃から、周囲の人間の影響を非常に受けやすく、そのくせ人とは違った個性を求めるという、矛盾した人間であった。実際今の私は、個性的であることを望んでいるのに、自分を形成する趣味嗜好や特技は、過去に周囲の人間の影響を受けた結果である。

 

そのような私の性格が相極まり、今まで数々の人間関係をこじらせてしまっていた。小学生の頃からつい最近まで、私が生み出したトラブルは数え出したらキリがない。

このブログは、そんな私のこれまでの人生を振り返り、あわよくば誰かの人生の参考、とまではいかなくても、せめてお笑い草くらいにはしてしまおう!といった内容のものである。

私自身、長文を綴るのは久し振りで、常に無気力なため駄文であるが、私がこじらせ神であった証として、ぜひ読んでいってほしい。

 

 

Twitter→(@Koji_Rase_God)